大学院に行ってはいけない

もうちっと正確に言うなら、「日本の大学院に行ってはいけない」かな。

日本の大学院に6年も行った俺が何を言うねん、って感じですが。

なぜ大学院に行くのか

大学って、まー、全員とは言わないまでも行く人多いし
大学全入時代なんて言われて久しいし
とりあえず行けば何となくモラトリアム?で気楽ってのもあるし
まぁ、行けるなら行っとけ、っつーのも悪くないと思う*1

でも、大学院は違う。
当の本人がどれくらい意識してるかは知らんが、大学院に行くってのはつまり
大卒で就職する、ってチャンスを蹴ってる変わり者、なのだ。
特に日本だと、変わり者でいつづけるのは大変だ。

近年は理系だと修士修了も珍しくないみたいだけど、
結局のところR&D系の職種に限られる気がする。
博士まで行ったらねぇ、って話は枚挙に暇なし。


さて、何故大学院に行きたいのか、って聞いた時に考えられる答えとして、ぱっと思い付くのは

  • 勉強がしたいから
  • 研究がしたいから
  • 修士を持ってないと付けない職を希望するから
  • 就職したくないから

まぁ、就職したくない、ってのは論外として。
この中で、「日本の大学院」に行ってもいいかな、と思えるのは
「修士を持ってないと付けない職を希望するから」のみ、なんだな。
それも、国内で就職したい、という前提付きで。

「勉強がしたいから大学院に行きます」をオススメしない訳

一般的に、大学院ってのは"勉強する所"って考えられてるわけで
「勉強したいから大学院に行きます」ってのは、一見、自然に思える。

が、個人的にはこれはオススメできない。

よくよく考えると、この発想の裏側には
「大学院でないと勉強できません」ってのがあるわけだが
果たしてそれは本当だろうか?

今の世の中、よっぽどの単純労働を除いて
勉強せずにできる仕事なんてほとんど無い。
ましてや、パートタイムや派遣ではなく正社員に求める仕事が
勉強もせずにできる単純労働である可能性は非常に低い。

そして、今後のことは分からんが、少なくとも日本の現状では
社員の訓練は会社が負担します、というのが一般的。
だからこそ、本来はよりハイスキルなはず博士の就職が厳しかったり
修士でも専門職に絞られがち(100%ではないが)だったりする。

つまり、勉強は就職してからもできるし
むしろ、就職してからこそ勉強せねばならない。

以下は裏付けのない話なので、話半分で流して欲しいのだが
一部の基礎分野を除いたその他、つまり大なり少なり応用的な分野では
むしろ企業でこそ生きた現場の勉強ができると思う。
特に、政治やビジネス。あと開発系もそうかな。
現場での勉強は、往々にして机上の空論をやすやすと超えていくもんだ。

なので、ホントに大学院に行くのが良いのか
企業の開発や研究、実務じゃダメなのかをあと100回くらい問なおして欲しい。

大学院は「勉強するところ」ではない

さて、それでも大学院で勉強するのがベターだと思ったとしよう。
そこで俺が言うのはこれだ。

大学院というのは「勉強するところ」ではなくて「研究するところ」

どこまで一般化できるのかは微妙だけれど、そうだと思う。


といっても、「勉強」も「研究」も何がちゃうねーん、という御仁も多かろう。
なら、誰か近くにいる"研究"指向の人に、聞いてみるがいい。
たぶん、色んな答えが得られるだろうけど、大差なし、って答えはねーと思う。
というか、そんな答えする人がいたらアテにならんので話聞くのやめなさい。

勉強ってのは、どこまで行っても、他の誰かがやったことをなぞるだけ。
既にあるものを、自分の中に吸収する作業だ。

研究ってのは誰もやってないことを世界で初めてやること。
自分の中で生まれ育ったオリジナルな物を、外に放出する作業。

この点で言うと、勉強と研究は全く方向が逆とも言える。

尤も、研究ってのは多くの場合、先にある成果に新しい成果を積み足す形になるので
勉強せずに研究はできないけど。
それでも、「研究は好きだけど勉強は嫌い」って研究者は結構多い。

そういう、「研究する」所に「勉強したい」と思って行っても
ロクなことねーんじゃない?

大学院で研究したいなら日本を出るべき

ここまで読んでもらって、それでも大学院に行くんだ、って人には
ぜひ海外の大学院に行って欲しい。

例外は、日本で研究するでっかいメリットがある場合、
たとえば日本史をやってて日本にいないと資料が見れないとか、
そういう場合ね。

大学院は海外で、とオススメする理由は以下の三つ、かな。

  • 言葉の問題
  • ゼニの問題
  • 日本の大学院の構造的問題

海外の大学院に行くべき理由1「言葉の問題」

一つ目は言葉。多くの分野で、研究をやるのに英語は不可欠になってる。
海外に出るのをビビる大きな理由にもなる言葉の問題だけど
結局、研究でやっていくなら遅かれ早かれぶち当たる。

ならチョットでも早いうちに、英語を使わざるをえない環境に行くべき。
(非英語圏でも、研究では英語で、って国も多いらしいし)
英語大好き、英語の勉強が楽しくって仕方ない、って人はほっといてもいいとして
そうでない人は、やっぱり必要に迫られるまでやらんでしょ。
よし、研究でやってこう、と腹くくったんなら、英語も腹くくらんとね。

海外の大学院に行くべき理由1「ゼニの問題」

二つ目はゼニですな。金の話。
アメリカの話しかしらんけど(たぶんヨーロッパも似てるかな?)
基本的に、アメリカの大学院はゼニかかりません。(大学はそうでもないけど)

TAとかRAっていう仕事を大学でやることで
授業料チャラ+とりあえず生活できるくらいの給料
ってなるのが一般的、らしい。

もちろん、仕事はそれなりに大変で
TAだったら学部生向けの演習とか授業とかで説明したり
テストの採点して(自分の責任で)成績をつけて大学に出したり
それなりに手間がかかって責任もある仕事になる。

でもね、結局、日本にいたって大学院でやる事は仕事。
そもそも、いわゆる研究活動だって、雇われてやれば給料が出るのに
大学院生ってだけで、おんなじことやっても逆に授業料を取られるという。
で、奨学金って名前の学生ローンを組んで
えらい額の借金をこさえる訳ですね、俺みたいに。

海外の大学院に行くべき理由3「日本の大学院の構造的問題」

ここまでの二点は、海外の大学院に行くべき理由だったけど
最後の一点は、日本の大学院に行くべきではない理由。


大学院ってのは研究する場所なんだけれども
そこにいる大学院生ってのは、研究者のタマゴであって、研究者ではない。
つまり、育ててやらんといかんわけですね。
(ちなみにアメリカだと、ポスドク*2ですら、ラボのボスが教育すべき人って見られてるっぽい)

アメリカの大学院生を傍目に見てる感じだと
授業や何やで中々ハードにトレーニングされてるように見えるし
ティーチングやらの仕事も、トレーニングに一役買ってるように見える。

一方で日本の大学院でありがちなのは
テキトーに放置だし、授業なんてあってないようなもんだし
セルフトレーニング以外にトレーニングの機会なんてありゃしない。

これが上手く回るのは、大学院生がちゃんと研究者といえるスキルを備えてる場合。
それって研究者を育てるって名目から言うとちゃんちゃらおかしい話。
何にも育ててねーじゃん。大学院って何、って話だ。


まぁ、教授の立場から考えると、放置しちゃう理由も分かる。
日本の大学院の場合、教授一人に10人とか学生がついちゃうのもザラ。
ここに日本の大学院の構造的な問題がある。

超絶に優秀な人でも、10本のプロジェクトを同時進行でこなすのはキツい(はず)。
そうなると、下っ端の面倒なんて見てらんない。
ところが、マトモな人だと、さすがに放置ってのはマズい、と感じて
そこで誰かに投げればまだ良いんだけど、変に責任感があったりすると自分で面倒見ようとして
なんかテーマっぽいものを与えたりするわけですね。

そしてそのテーマは大して詰められてない。
だって既に佳境を迎えてるプロジェクトが数本あって、それに雑務が加わって教授は既にいっぱいいっぱい。
その状態で新プロジェクトを詰めろといってもキャパが足りん。
なので、詰められてないプロジェクトを、学生にふわっと提示するわけ。
で、研究者ではなくてタマゴのレベルの学生だと
大して知識も経験もねーので、そっかー、そんなもんかー、と思っちゃう。

かくして、学生はちゃんとしたことをやってる気分になる。
教授は、とりあえずその場をしのげて、さしあたって大事な話に取り組める。
一見、みんな平和なわけだけど、そのツケは後でやってくる。
大して詰まってないプロジェクトを、素人に毛が生えた程度のやつに任せる。
それで良いアウトプットがある方が奇跡で、
どーにもならん結果と、のっぴきならない状況(時間と金は使ってしまった、何とかしないと、という状況)になりがちなのは
まぁ、想像に難くない。

自分がものすごく優秀だ、って場合を除いて
日本の大学院に行っても、ろくな目にあわんのですね。

なんか、自分のことを書き連ねてるみたいだなぁ…

まとめ

金と時間ばっかりかかり、大して教育も受けられず
学位をとったところで(日本の企業風土として)就職しにくい。
海外に行けば借金はせんですむし
ちゃんと教育されるっぽいし、
言葉のトレーニングにもなる。


余談:学生をタダで使えるのが日本の大学院の問題では?

余談になるんだけれど
日本の場合、研究室からみると、学生はタダで雇える(むしろ取ることで金が降りてくる)存在なのが問題だと思う。

もし、学生を一人とるにも、それなりのコストがかかるとなると
取る側も自ずと人数を絞るし、人をしっかり見て選ぶ。

そうすると、プロジェクトの数も絞られるし
少なくない金をかけてんだ、って意識も相まってプロジェクトも詰めるはず。

学生から見ても、金の心配が消えるしね。
ただ、学生はより厳しいセレクションに晒される事になるけど。
そもそも研究者が社会的にどれくらいの数、必要とされてるのかを考えると
大学院の定員が多すぎるって面はある。

結局、日本は人に投資して育てるってのが下手なのかなぁ?

*1:そりゃ、大学自体がただのブランディング機関になってて、大学で何を学んだかよりも、大学に入る時点でどんだけ試験で点数が取れたか、という点で個人を評価しかねない状況になってるのを、良し、とは言いかねるけれども

*2:ポストドクトラルフェロー。博士研究員。大学院で博士をとった後、パーマネントな職につくまでの間やる研究職。だいたい一年契約で更新あり、だったりする。